だんごろうさんの「ラスカル」を読む


http://d.hatena.ne.jp/dangor0/20101215/1292417937
良い文章というのは読んでいるうちになにか、自分の頭に入っていることが浮き上ってきて、止まらなくなるような文章だというのが私の文章観です。
なので読んでいる自分がその文章を良い文章にするには、能動が必要になってくるし、いつでも誰にでも胸に響くような文章というものはないということになる。

僕は友達のコウと自宅でゲームボーイの人気ソフト「魔界塔士SAGA」で遊んでいた。

なにげないが複数の前提知識が必要になる。「犬山」に出てきたあの「コウ」、若いだんごろうさんと学校の裏にあった山にあたかも住み着いているかのような少年とは思えない男の子とを結びつけた「コウ」が出てくる。
おそらく、これからこの文章が進むなかではそれほど仲が良いように書かれてはいないけれども、相当仲が良く、この友達を介してなにかがはじまることが多いような友達だったんだろうと思う。
伊集院光は「近藤君」の話をよくする。これも昔、よくつるんでいた友達らしい。トークの潤滑油か、あるいはバネになるのは昔のことを語る時に伊集院光の語ることなんだと思う。伊集院光は話しはじめたら、それが義務ででもあるかのように笑いにつなげてから終る。近藤君の話の終りには、必ず「でも近藤君は若くして死んじゃったんだけどね」「近藤君の七回忌にまだ行ってないんだけどね」と、笑いのトークの中で突然マジトーンの死の話を入れるというイレギュラーさによって笑わせる。もちろん笑いでありながら喪でもある。
フーコーみたいな人はそもそも「文字を書く」という行為が、喪の意味を持っていて、そこに書かれた人間は書かれた瞬間に死ぬ、などというよくわからないことを言う。そこまで激しい文章観は持てないものの、何か昔のことを語るということの中には、それに近い原動力があるように思える。
自分はゲームボーイには触れたこともなかった。なにが発売されてるのかも全然知らなかった。ポケモンを脇で見ていたことはあったかもしれない。
ボケモンがまだ151匹だった頃、「ミュウ」「ミュウツー」という隠しポケモンがいたが、それは中ば公然のポケモンで、あざとかった。しかし自分が見せてもらったのは152匹目のポケモンで、名前は「けつばん」といった。
今じゃもうどんなバグが起るかも研究し尽されているポケモンというゲームなので、「けつばん」くらいでイレギュラーの扱いをしてもらっちゃ困るよ。と言われるかもしれないけど、その頃の「ミュウ」「ミュウツー」の公然たる扱いにあきあきしていた自分は、その「けつばん」こそが見てはいけない本当の隠しポケモンで、グラフィック(バグらせ方によって見た目が変るらしい)に表れた真っ黒い円か球体は、血の塊で、「血盤」だと勝手に思っていた。
続きはまた今度。